3歳の娘と会話してると、お母さんはこう、お父さんはこう、〇〇ちゃんはこう、と本人に聞きもしないのに神様みたいに知ってるようです(事実はどうあれ)
3歳娘との会話
昨日保育園の帰りに通り雨にあい、傘やレインコートで防ぎきれずに割と濡れてしまいました。娘と二人で歩いて帰っているので、けっこう大変。
翌朝、登園中の会話で「昨日はけっこう濡れたね」という話になり、すると娘はお友達が濡れたかどうかも話してくれるんですね。
〇〇くんは濡れてない、△△ちゃんは濡れたと。
私は「じゃあ今日保育園で、昨日は雨で濡れなかったか聞いてみたら?」と言ってみたんですけど、本人は割とすでに納得してるふうで。
「相手は自分の想定通りとは限らない」という概念がまだないのかな?
もちろん、すべて知ったふうではなく「ばぁばは濡れなかった?」と私に聞いてきたりするので、毎回ではないのですが、相手の状況をこうだと知ってるかのように決めてしまっていることがあります(事実はどうあれ笑)
例えば娘が「お母さん何食べる?」と聞いてきて、私が「みかんが食べたい」と言っても「ちがうでしょ、りんごでしょ」と言ってくる。
育児の本や番組などで、1〜2歳までは友達と一緒に遊んでいても、ひとり遊びがたまたま重なってるだけで、3〜4歳から周りを意識して協調して遊ぶようになると聞いたことがあります。
娘はまだ、意識が自分の世界で完結していて、神様のようになんでも知ってる状態なのかもしれないなと思いました。これが3歳児の万能感の正体の一つじゃないかと。
「自分の世界では自分が神様」という考え方
最近私は、思考実験・妄想遊びで、この考え方を試しています。
私の世界では私が神様
あなたの世界ではあなたが神様
Aさんの世界ではAさんが神様
という考え方です。
思わず「そんなわけない!」となりますが、世界は多重に存在してると仮定すると、割と受け入れやすいかなと思いました。
この考え方のいいところは「自分のやりたいようにしたらいい」と思えることです。自分にも他人にも。
自分の中の他人の声
「そんなことしたらダメだ」「こうしなきゃダメだ」と思うとき、それは自分の中の他人が言ってることが多くないですか?
万能の神様だった3歳を過ぎて、他者を意識するようになると、周囲からどんどん自分は神様でないことを自覚させられます。
それがさらに行き過ぎると、自分よりも他人を優先して「自分なんて」と自己否定をするようになります。
すると、したいこと・したくないことがあるときに自分の中から他人の声が聞こえてくるわけです。
神様であることを忘れてる
でも、本当は神様なわけです。
神様なのに神様じゃないと思い込まされて他人の声に振り回される。まぁそれも自分が望んでそうなってるんですけども。神様だからマイナスなことも願えば叶っちゃう。
私は自己否定強かったけど、最近ちょっとずつ神様であることを思い出してるところ。まだ新米なのでよく忘れる。
今も明後日の3歳児健診に持っていく母子手帳が見つからなくて、自分はダメだと絶望してます。
3歳娘は天然神様
ここまで来てやっと娘の話になるわけですが、娘は「きのう〇〇くんは雨に濡れなかった」ということを、知らないはずなのに見てきたかのように言うわけです。
神様の視点ですね。
でも実際に確認するまでは〇〇くんが雨に濡れたかどうかはわからないわけで、娘の世界では「〇〇くんが雨に濡れなかった」と言ってもあんまり問題ない(多分)。
なにかの機会に娘が「〇〇くんは実際は雨に降られた」と知ったら、娘の世界でも「〇〇くんは雨に濡れていた」と情報が更新されるわけ。
私は「私の世界では私は神様」って言って頑張って思い出そうとしてる再就職新米神様ですが、3歳児の万能感を持つ娘は自分が神様であることを思い出すまでもない、天然神様なんですよね。
私よりも神様度合いが高い。見習おう。
娘も神様であることをきっと忘れる、でもまた思い出す
そんな娘も年齢が上がって、小学校・中学校と通ううちに自分が神様であることを忘れるでしょう。
神様であることを一旦忘れる教育を受けるわけですから。
私みたいに自己否定の強い子になるかもしれない。ならないかもしれない。
でもまたどこかの機会で、神様であることを思い出すんだと思います。
一旦神様であることを忘れて、また思い出すほうが、味わい深い(?)神様になれそうですよね。まー、ずーっと神様でいる可能性もありますが。
まだしばらくは天然神様の娘に見習いつつ、自分の神様度を上げていこうと思います。
12月の目標
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家計簿:現金支払い入力完了!