ある日散歩してたら、それが降ってきて、私の自己否定の元が一つ(大きいやつ)が解放されたのでした。
自己否定の元の一つが解消した
ながらく自己否定の元だと思っていたことがある。
それは「登校拒否になった自分を母に認めてもらえなかったこと」だ。
そのあたりの話は、過去にブログに書いてだいぶ整理できたけど、まだ完全にスッキリはしなかった。
不登校だった小学2年生の自分に、今の私が親としてどんな言葉をかけたらいいのか改めて考える①
ところがある日、会社の昼休みに散歩してると急に「それ」が降ってきて、スッキリしてしまい、自分でもびっくりした。
「それ」とはこういうことだ。
母が登校拒否した私を認められないのは「母の課題」であって、私の課題ではない。
なんだ、お母さんの課題なのに私が悩んでたのかー。じゃ、私はもう悩まなくていいよね。
母を責めてるわけじゃない
ちなみに、「母の課題」という言い方は母を責めてるみたいに聞こえるかもしれないけど、全然責めてない。
母の愛は感じているのに、不登校は認められないのは「私は本当の意味では愛されてないのでは?」と長年思ってたけど、全く別。
母の愛は本当だし、「子どもの不登校を認められない」のは母の課題。
そして課題自体は別に悪いものでもなんでもない。課題なんて誰にでもいっぱいある。強引な言い方すれば「逆上がりができない」くらいなもん。
逆上がりできるようになりたかったら、できる方法を考えて実行すればいいし、逆上がりできなくてもいいなら別に何もしなくていい。
ちなみに私は逆上がり小6までできなくてめっちゃ悩んでたけど、体操スクール行ったら、あっという間にできるようになった。手段を変えれば簡単だった。
この考えが降ってくる前日に知ったこと
いきなり「母の課題」と思い至ったわけではなく、それまでにはアドラー心理学を本で学んでみたりとか、いろいろあったわけだけど、前日に「とあること」を知ったのも大きい。
それはまた次回に。