今日、突然そう思ったんです。というか、言ったの。その瞬間に「あ、大事なこと言った」って自分で思った(笑)ので書きます。
他人の言動に自分の気分を左右されることについて
なんだろ。最近、仕事家事育児に追われてると、自分の時間がなさすぎて、他人に気分を左右されてる時間が惜しい。というかもったいない。というかアホらしい。
「時間は大事」を改めて実感した今、自分より他人を優先してしまう精神(自己肯定感の低さ)って、自分を殺してるも同然って思えたの。
だって時間=命だもんなー。
明日生きてるかもわからないのに、他人の言動に左右されてる場合か。
追記
自分より他人を優先するときに「自分がそうしたい」と思ってやってるときは良いのですが、「本当は嫌なのに他人を優先してしまう傾向」のことを自己肯定感が低いと書いています。
他人を大事にしない、というわけではない
言動には意味や理由がある。でもその人が本当に言いたいことに怒りや悲しみの感情が乗ると、言いたいことがそのまま言葉や行動になってないときがある。
なので、感情と本当に言いたいことは一旦分けて受け止めるのが大事。
本当は「そこのところ分けて整理してから伝えてよ!」って言いたくなるけど、私も逆パターンよくやってしまうし、人間は元々感情の生き物だから仕方ない。
感情は感情で、言いたいことは言いたいことで、それぞれの課題を抽出して解決策を考えて実行する(本質に向き合う)
感情も大事だし、言いたいことも大事。
自分の感情が揺れるのは、自分の課題に共鳴してるから
他人の言動で、自分の感情が揺れるのは、自分の課題に共鳴してるから。
共鳴してる自分の課題が何なのかを探る。
その課題を抽出して解決策を考えて実行する(本質に向き合う)。
それで終わり!
で、ええやん。
ここまでやったら、もうそれ以上は感情を揺らされる必要はないと思う。
結局のところ、感情は揺らされてるのではなくて、自分で選択して揺らしてる。
それに気づくと「アホらし」ってなる。
こう思えるようになったのは、自己肯定感が上がって来たから?
「他人の言動で自分の気分を左右されるのってアホらしい」って、急に思えるようになったのは、多分、自己肯定感が上がってきたからだと思う。
それまで「他人はどうあれ、自分は自分」とはなかなか思えなかった。「他人に許可してもらわないと、私はここにいてはいけない」気がしていたからだ。
でも今は不思議とそうでもない。
自己肯定感が高いって、言い換えると「他人に許可をもらわなくても私はここにいていい」って自然に思えることなんだなぁ。
自己肯定感についてはまた書こうっと。
書きました↓
自己肯定感の高まったのは、世界の設定を書き換えたから〜前編〜
自己肯定感の高まったのは、世界の設定を書き換えたから〜後編〜
あ、夫のことではないです
心配されるかもしれないので書くと、今回のことを考えたきっかけは夫のことではないです。
でも今回のことに気づいてからは、夫や娘も含めた他人の言動について、少し分析を挟んで対応できるようになった気がする。
なかなか気分よし。ただし、時間と気力と体力に余裕がないと無理だ。睡眠大事。
1月の目標
毎日ブログ1記事更新:翌日になったけど更新できた。1月は24記事目。
ピアノ:指を痛めたのでおやすみ中。
アブローラー:寝る前に20回できた。