末っ子・ひとりっ子に憧れる私は長女気質をかなりこじらせてる気がする

自尊心や自己肯定感が低いのが長年の悩み。「いや、プライド高いから自尊心低いのか?、どっち??」みたいな感じの私です。

アテンションプリーズ!

今から書くことは、完全に私の主観で、思い込みとも言って良いものです。

自分の考えを整理するために書きました。

あなたが以下の文章を読んで「それは違う!」と思うこともあると思いますが、「このブログを書いてる人はそう思ってるんだなー」と軽く流していただければと思います。

それでははじめますー。

私は「不器用な長女」です

長女にも2種類いると思います。

  • 器用な長女
  • 不器用な長女

「器用な長女」の場合、弟や妹の面倒見たり、親に構われずとも自分でテキパキやったりできた人だと思います。

でも器用にできすぎて「頼まれたら(できてしまうから)断れない」「頼まれなくても私がやらなきゃ」と思ってる。

それはそれで大変。でも周りから信頼されてると思うんですよね。

不器用な長女の場合、「弟や妹の面倒を見るべき」「親に構われなくてもできなきゃダメ」と思ってはいても、めっっっっっちゃ頑張らないとできない。

そしてめっっっっっちゃ頑張るのは、いつか息切れする。できない。失敗する。信頼を失う。

「べき・ねば」が強いわりに結局できなくて周囲から信頼もされてない。それが不器用な長女、私です。

長女気質を考察

長女って「役に立たないと愛されない」と思ってます。

そして不器用な長女は「役に立ち続けられない自分は愛されなくて当然」と思ってます。

器用・不器用関係なく、長女の場合「役に立つ」ことで、マイナスをやっとゼロにできます。

器用なら役に立ちつづけることで愛される。不器用なら役に立ったり立たなかったりで、愛されたり愛されなかったりします。

と、思い込んでます。

不器用な長女の場合、努力して器用になれば愛されて幸せになれると思ってます。

でも、器用な長女が「愛されてるのは役に立ち続けてるからであって、それを辞めたら愛されない」と思ってるなら、それはそれで不幸だな。

なんだ、器用・不器用はあんまり関係ないのか。

私の10代20代は「いつかちゃんとできるようになれば(器用になれば)、こんな苦しい思いしなくていい」という思考が頭の大半を占めていたというのに。なんか損した!

まぁ30代でようやく器用になるのは諦めたけど。

末っ子・ひとりっ子に憧れる私

そこで「不器用な長女」な私が憧れるのは末っ子やひとりっ子。

長女から見ると彼らは「存在するだけで愛される」存在。

  • 器用な末っ子・ひとりっ子 =「すごい!」「天才!」と愛される
  • 不器用な末っ子・ひとりっ子=「かわいい」「天真爛漫」「ほおっておけない」「面倒みてあげたい」と愛される

「不器用な長女」な私から見ると、「不器用な末っ子・ひとりっ子」は羨ましすぎる。「え、なんでできてないのに愛されるわけ??」みたいな。

そこで、真似してみよう考える。

「ちゃんとできなくても私には価値があるもーん!」と思ってみる。それでちょっとの間そんな気がしてきて気分も良くなる。

ところが続かない。

できないこと・上手くいかないことが増えてくると

「ふ、ふん!、それでも私は価値があるんだから。大丈夫なんだから。別に苦しくないんだから!」

「なによ、文句ある??。あるよね?。やっぱりあるよね。でも私は気にしないんだから!!」

もはや気にしまくりである。

そもそも前提からしてなんか違う。末っ子・ひとりっ子は「ちゃんとできないといけないのに、ちゃんとできてない」という認識すらないのでは???

結局のところ

「役に立たないと愛されない」って思考が元凶なんだと思う。

今でも「役に立たないと愛されない」って当たり前みたいに思ってるし、真実だと思ってる(え、真実でしょ?)。だからいつも怯えてる。

「役に立ってないのに、なんで私ここにいていいんだろう。何かの間違いじゃないかな。その間違いがいつか突然正されて、私なんかどこにも居場所がなくなるんだ」って常に思ってる。

そのくせ、不器用を治すの諦めたもんだから、意地汚い開き直りの態度すら取ってるときもある。だってそうしないと、身体か精神が壊れそうだから。自己防衛。

いったい何から自分を守ってるんだか!

そうじゃなくて、個人は企業や会社じゃないんだなら「役に立たないと無価値」はそのまま当てはまらないでしょ!!

自分の胸に手をあてて、役に立ちたかったら役に立てばいいし、「今は無理」と思ったら休めばいい。それだけ!

それと価値は関係ないの!!!

と自分を叱りつけてみた。いきなりすみません。

「役に立たないと愛されない」と思い始めた理由

もう覚えてないから推測なんだけど、私の母から聞いた話では、幼稚園に年長で入る前の私は下の弟と妹の面倒をよく見ていて、母はとても助かってたんだって。

私は多分、母が喜んでくれて嬉しかったんだと思う。とにかくそれが私の成功体験だったので、強く意識に残ってしまったのだろう。

世の長女の皆さんは「役に立って喜ばれた」体験が転じて、「役に立てば愛される」→「役に立たなければ愛されない」という不幸な呪いを作り出し、自分にかけてしまったのかも。

少なくとも父も母も、私に対して「役に立たなければ愛さない」と思ってなかったはずだ。今私が親になってやっとわかってきた。

ただ「こんなに不器用で気を使えない子は、将来社会に出てやっていけるか心配」とは思ってたと思う。というか今も心配してると思う。

でも、それは両親の愛そのものだ。

今回のブログでの気づきをもう一度

我ながら意図せず良いことを言ったと思うのでもう一度。

自分の胸に手をあてて、役に立ちたいと思ったなら役に立てばいいし、「今は無理」と思ったら休めばいい。

まずは自分の身体と心を満たして、自然に役に立ちたいと思うまで待ったらいい。

私は不器用だけど、好きで得意なものもあるし、ぜひそれで役に立ちたいと強く思っている。身体と心の声を聞きながら、そうなっていくように仕組みを作っていきたい。

もちろん、家事育児など、得意ではなくてもしなくてはいけないこともある。でも人目を気にするのではなく、私のペースとやり方で上手くできるように構築できると思う。

つまり、もう私は「役に立たなければ愛されない」という幼いころに自分にかけた呪いを解こうと思う。

もし他の人が私に「役に立たなければ価値がない」と言ってきたら、それは私の問題ではなく、その人がその人自身にかけている呪いが発動してるだけだと思うことにする。でもまぁ、そんな人はほぼいない。

なんか結論出たような出ないような

とりとめもなく書きました。「末っ子・ひとりっ子も別の苦労があるんじゃ!」と思われた方、申し訳ありません。

「私はそんな長女じゃない!」すみません。

何事も、他人の目からみた評価を気にするのではなくて(ちなみにそれは他人の目のようで自分の目なのです)、自分の胸に手をあてて、身体と心の声に耳を傾けるのが大事なんだなーと思いました。