前回「不登校だった私を認められないのは母の課題」ということに気づいてスッキリした話の続き、というか前日譚。
2016年9月に文科省が「不登校は問題行動ではない」と学校に通知したそうですね
前日に知ったのはコレ↑
学校に行きたくないなら休んでよいという法律「教育機会確保法」は不登校してる子どもたちを応援する | AI-am
こちらの記事に貼られていたリンク先の資料を読んでいたときに、下のような言葉が目に飛び込んできた。
不登校に関する新しい法律についてより抜粋
作成元
多様な学び保障法を実現する会 | ~旧「(仮称)オルタナティブ教育法を実現する会」~
これを見たときに、私の中で何かがすごく許された気がした。
ずっと不登校=問題行動だと思っていた。私が小学2年生で不登校になったとき、母や学校の態度は、まさに問題行動に対する対応だった。
それが世間の常識だと思っていた。
ところが今では文科省が学校に対して「不登校は問題行動ではない」と言っている。
そっか、不登校は問題行動じゃなかったんだ…。
そう思って嬉しかった。なにかが一つ解決したような気分になった。
とはいえ、国が「問題行動じゃない」って言ってくれても、「お母さんに認められないんじゃ私には意味ないなー」と思って改めて落ち込んだりもした。
ちなみに、文科省の通知についてはこちらの記事も詳しいです。
「不登校は問題行動ではない」全学校へ向けて通知、知られずに1年~国と現場がかみ合わないカラクリ~(石井志昂) – 個人 – Yahoo!ニュース
そして次の日に気づいた
そんなことが前日にあったものだから、無意識に残っていたのだと思う。
それがお昼休みの散歩中にビカーッと光って「不登校の私を認められないのは母の課題」という、私の中でコペルニクス的転回が起こったわけ。
いやー、こうやって書いてみると私にとって、母の存在、大きすぎやな!。
私は母から生まれてきたので、世界の根幹は母なんだよね。私が「こう」って思ってても、母が「NO」なら世界に否定されてるような気がするわけ。
うわー、書いててアホらしいくらいなんだけど、本当にそう思ってたわー。母だって、自分の娘からこんな重たく思われてたら困ると思うわ(笑)。
私も娘を産んだ今となっては、娘は私から生まれたというよりは、別の世界(宇宙?)から私という門(ゲート)を通って地球に観光にきたような認識なので、私は全然世界の根幹でもなんでもない。
「ようこそ地球へ!楽しんでいってね〜」ってなもんで。まぁ娘本人はどう思ってるのかな。
自己否定の元が解放されたら、それですべて解決ってわけでもない
「不登校だった私が母から認められないのは私の課題ではなかった」と気づいたことで、私はひとつスッキリしたけど、それですべて良くなるわけでもない。
「不登校=問題行動」つまり「不登校になるような私は問題」という、固定観念や思考停止から解放されて、次に進めるようになった。
すると次の課題が見えてくるわけ。それは母の課題ではなく、私の課題。それって取り組みがいあるよねー。