「9/1は子どもの自殺が1番多い日」という記事を頻繁にみかけます。自殺などは考えなかったけど短期間不登校になった頃のことが未だモヤモヤと残っており、それを整理してみようと思います。
小学2年生のころ不登校になった
私が小学2年生のころ、短期間ですが不登校になりました。
時期は4月中旬から5月のゴールデンウィークの少し後までだったように記憶してます。
行ったり行かなかったりで、トータル2週間くらいだったように思います。
不登校になった原因
実は小学1年の秋頃から3月まで、クラスメイトの1人からイジメにあってました。
と言ってもキッカケは自分が作ってしまったのです。
イジメにあった経緯
小1の秋にクラスメイトの男子が1人転校することになり、誰かが転校するのは初めての経験だった私は、もう一生会うことはないかもしれないと感慨深くなってました。
何か記念になるものを渡したいと思い、たいして仲が良かったわけでもないのに、2色の毛糸で小さな鞠を作って渡しました。
ところが、それを見ていたAちゃんという女子が「いーややこーやや、せーんせーにゆーたーろ」とばかりに、学校に不要なものを持って来たことを先生に告げ口すると言ってきたのです。
私もそのプレゼントをAちゃんにこっそり見せたのが良くなかったと思います。
当時の担任のB先生は、女性ながらとても芯の強い性格で、叱り方もちょっと怖い先生でした。
叱られるのが嫌な私は「なんでもするから言わんといて」とAちゃんに言ってしまったのです。
イジメの内容
それからは、先生に告げ口しないことの交換条件に、半年間いろいろ要求されました。
- お気に入りのぷっくり立体的なシール
- 拾い集めた中でも特にレアな透明のBB弾&夜光塗料で光るBB弾
- 大事にしていたコーラの香りの練り消しなど、お気に入りの文房具
- 行き帰りにランドセルなど荷物を持たされる
- 他の友達の前で何でも言うこと聞かされる
持ってる物の中で、一番大事なものを「ちょーだい」されるのも辛かったし、それ以上に友達の前で家来状態というのが精神的にキましたね。
学校の授業中以外、休み時間や登下校中が地獄だと思ってました。授業中のほうがホッとしてました。
学校に行くのが憂鬱だけど、休んだら何言われるかわからないので、休まず登校しました。
私の自業自得もあってイジメと言っていいのかわかりませんけど、常時脅されてビクビクしながら過ごすのが辛かったのでイジメと書いてます。
突然の終わり
半年その状態で、私もほとほと疲れ果ててアホらしくなってきました。
それで小1の学年末の3月に「先生に言ってもいいから、もう言うこと聞かない」と告げました。
そしたらその翌日、Aちゃんは給食の時間にB先生に告げ口したんですね。
そしたらB先生何て言ったと思います?
「え、別にいいじゃない?」
それで終わりです。全く叱られませんでした。「え、いいんだ?」って拍子抜けしました。
今考えたら別にいいですよね。お手製のプレゼントを学校に持ってくるくらい。
厳しい先生だったので「勉強に関係ないもの持ってきたらダメ!」って絶対叱られると思ってたのです。
そして私はちょっと叱られるのも耐えられない性格でした。結局叱られませんでしたけど。
これがどう不登校につながるのか。
続く。