世界の中心で娘への愛を叫ぶ、ことができる本当の理由。

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親バカここに極まれり←何それ褒め言葉?なくらい、娘に対して「好きだ〜!大好きだ〜!」と叫びまくってます。「こんなに人を好きになったのは初めてかも☆」のイキオイ。こんな気持ちになる理由を考察してみました。

保育園に娘を迎えに行くのが楽しみで仕方ない

退社して、家の最寄駅から保育園に向かう道すがら、今8ヶ月の娘に9時間ぶりに会えるのが楽しみでルンルン歩いてます。今日の娘はどうだったのかな?と保育士の先生のお話を聞くのも楽しみです。

家に連れて帰ったら、とりあえず愛を叫んでます

家に帰ると、それまで大人しかった娘が「おっぱい寄こせ〜!」とばかりに泣き出しますが、手洗いうがいしたり、部屋の換気をしたり、食材を冷蔵庫に入れたり、着替えたりしているうちに、「早くちょーだいよー!」といった感じで、ますます泣き喚く娘が可愛くて可愛くて「うおー!好きだ〜大好きだ〜!」と叫びながらぎゅーっと抱きしめたりしてます。

文章にしてみるとアホですね。

早くおっぱいあげてやれと(笑)。

正直、こんなに人を好きになったのは初めてかも

と、本気で考えてしまいます。

おいおいおい、両親は?夫は?(笑)

娘を躊躇なく好きになれる理由を考えてみた

まずひとつは「自分の子どもだから」でしょう。

以上!

…でもいいんですけど、ここ数日、その理由を考え続けてたら(続けてたんかい!)、もう一個見つけました。

結論から言いますと

娘が私の愛を受け入れてくれると確信してるからです。

だから、遠慮なく躊躇なく愛を叫べるのです。

でもまー、文章にしてみると「何それ、私、そんなこと考えてるの?キモっ」ですね。

人を愛するよりも、人の愛を受け入れることのほうが難しいと思う

長い間、ずーっと考えてたんですけど、個人的な意見としてはコレです。

これまでの人生で、ほんとーに数少ない人から告白されたことがあります。

ところがもったいないことに、私はそれを受け入れられませんでした。友人としてとても好きだし尊敬もしてたのに、告白された途端に「一体私の何を知ってそんなことが言えるのか」と怒りすら覚えたのです。

要するに私は自分のことが嫌いだったので、相手が「本当の私」を知れば、相手のそんな気持ちは失せるだろうと思っていたようです。

だから、いずれ無くなるかもしれない相手の気持ちは受け入れられませんでした。怖くて。

愛を受け入れるのが難しいと思うと、愛することも躊躇する

愛を受け入れるのが難しいと思うと、逆に愛することにも躊躇が発生します。

自分の愛が受け入れられない可能性があるからです。

人を好きになることや、恋をすることそのものを楽しむなら、相手から受け入れられなくても構わないと思うかもしれません。

でも多くの場合は、受け入れて欲しいと思うでしょう。

それが叶わない恐怖が、躊躇を産みます。

自分のことが嫌いだと、愛を受け入れるのも愛するのも怖い

結局、「自分に価値を感じない」「自分を嫌い」だとこうなっちゃう。

赤ちゃんは自分の存在価値を疑わない

やっと冒頭の話に戻るのですが、赤ちゃんは自分の存在価値を疑いませんよね。

感覚的にはそう思ってます。

自分自身のこと嫌いな赤ちゃん、あんまり想像つかないんで。

だから、8ヶ月の娘には遠慮なく愛を叫んじゃう私です。

娘には私の愛を受け入れてくれる懐の深さがある(親バカ)。

結論

まー、つまりは「自分は価値がある」と疑いなく信じてしまったほうが、いろいろ生きやすくて良さそう。楽しそうだし。もーそれでいいんじゃない?

とゆーことを、娘から学びましたとさ。

以上のことは、なんの根拠も無い、私の思考遊びです。

こういうとりとめのないことを書いて公開できちゃうブログって楽しいな〜。