当時何が一番辛かったかを整理し「それは辛かったね。もう大丈夫だよ」と声をかけたら、小2の私は安心満足して帰って行きました。あれ?不登校が問題なのかと思ったらそうでもない?と気づきました。
もしかして不登校が問題ではなかった?
この記事のシリーズを書き出す前、私は不登校の問題なのだと思い、不登校についての考えを書くつもりでした。
ところが書いている間に、不登校の問題を書く以前に、当時何が一番辛かったのかを突き止め「それは辛かったね。もう大丈夫だよ」と声をかけた段階で、小2の私は安心して泣き出し元気になって帰って行ったのです。
あれ?不登校の話は?いいの?
てっきり小2の私は不登校になって辛かったのだと思ってたのです。それで「学校には行くものだ」「学校に行かない=悪」という価値観の母に対してわだかまりがあったのです。ああ、言ってしまった。
私の母の話
ここまで書いてきてわかったのですが、当時小2の私は、母は「学校に行くものだ」という価値観がある(ように私からは見える)ため、何を言っても「学校に行かない=悪」ということに結論づけられてしまい(つまり何を言っても無駄)、自分を否定される気がして話せなかったようです。
当時の私にとって、親とはほぼ世界の全てだったので、母親に否定されたら生きていけないと思っていました。
ここまで書くと、なんだかひどい母親みたいな表現になってしまいましたが(実際、このシリーズを書くにあたって、母親を悪者みたいに書くことにかなりの躊躇がありました)、実際は違います。
私は母のことが大大大好きですし、「勉強しなさい」と一言も言わずに私を含む姉弟を育ててくれた母(と父)に本当に感謝してます。
うーん、表現が足りないな。
感謝、感謝、大感謝です!!!
まだ足りないな。
他にも母(と父)に感謝する要素を上げると、それだけでブログのシリーズ記事が書けてしまうので、それはまたおいおい。親に感謝してる内容を整理したら子育てに役立ちそう。
「学校には行くものだ」という価値観は母にとって大事なもの
私から母を見ての推測に過ぎないのですが、「学校には行くものだ」という価値観は、母にとって大事な価値観なのだと思います。
その理由を考えてみました。
推測される理由1
母自身も「学校は苦手だけど、頑張って学校に行っていたから」ではないかと思っています。
母と私は性質が似てるところがわりとあります。
- 集団行動が苦手。疲れやすい。
- 出不精。学校や仕事など外に出る強制的な理由を作らないと、ずーっと家に居てる。
- 本を読んだり、マイペースでできることが好き。延々と取り組める。だから勉強得意で成績も良い。
少なくとも私は元々学校に行くのがそんなに好きではないのです。「はいグループに分かれてー(破滅の呪文)」と言われたら、ポツンと残るタイプ。
日頃から人間関係を形成する努力を怠ってるのだから自業自得なんですけどね。
母のことはわかりませんが、マイペースが好きな性格なのは間違いない。
そんな母は「学校には行くものだ」と頑張りながら、時には歯を食いしばりながら学校に行っていたのではないかなと思うのです。
実際に辛かった時期の話を聞いたこともあります。
それを「学校に行かなくても良い」としてしまったら、母の努力が無意味になってしまい母を否定することになってしまう。
と、推測します(違うかもしれないけど)
推測される理由2
何より私のため。
集団行動が苦手で、出不精で、マイペースな私が、学校に行かなくなったら引きこもりやニートになって(当時そんな言葉はなかった)、ダメになってしまう。
そう思ったことは想像に容易いです。私もそう思うもん。というか、大学生のころ実際に引きこもり・ニートになりましたしね!(おい)
だからこそ、安易に「学校に行かなくてもいいよ」とは言えなかったんでしょう。
と、推測します(この推測は多分あってる)
何にせよ、母の愛
そう、母の愛。
わかってる。わかってた。
お母さんは私のことが大好きだったし、今も大好きでいてくれる。知ってる。
あれ、なんでか涙が。
あれれれれ?
また書きながらわかってきたこと
小2の私はこう思っていたようです。
お母さんが私のことを好きなのは知ってる。
でもそれは本当の私のことじゃない。
本当の私(=不登校になるような私)は好きじゃないんだ。
それって、私のことは好きじゃないってことだ。
おお、なかなか絶望してますね。
だけど今の私ならそうじゃないって知ってます。
「母の知らない私」「母と価値観の異なる私」「母からみて100%は理解できない私」がいたとしても、それをまるっとひっくるめて母は私のことが好きなのです。
そりゃ表面上はお小言があったり、叱られたりしますが、それも含めて愛です愛。
知らないところや理解できないところがあっても好きといえるのか
小2の私は頭が硬いのでそう思ってます。
不思議なんだけど、それができるのが愛なんだなぁ〜
と、今の私は思ってます。
だから本当は何も問題なかった
小2の私は、不登校までに至る事情や情けなく思ったり辛かったりしたことを、「怒られる」「学校へ行けってきっと言われる」と恐れて母に言えませんでした。
言えないからこそ、事情を知らない母に対して「お母さんは本当の私を知らない。だから本当の私を知ったらきっと私のこと嫌いになる」と思っていたようです。
そんなわけあるかーい!! By 今の私
私の幸せをおそらく世界で一番願ってくれてるのが母です。
それって愛でしょ。
今の私ならそう思います。だからもう大丈夫なんだなーって腑に落ちました。それで小2の私も笑顔で帰って行ったようです。
価値観が違っても相手の幸せを願えるのが愛
つまりそういうことなのかなーと。
なんかまとまったような、余計とっちらかったような。
続く〜。