「働かざるもの食うべからず」という言葉を聞くと泣けてくる

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私、「働かざるもの食うべからず」のいう言葉を思い浮かべると、「死ね」って言われてるみたいな気分になって泣けてくるんです。今日は検査通院で午前休していて、1人の時間があるので、この言葉と向き合ってみようと思います。

まさに今、泣いてます

娘が産まれた通い慣れた病院での検査通院なので、人の少ないソファーのある場所を知ってます。そこに座って一人泣いてます。

働ざるもの食うべからず

なんでこの言葉がこんなに泣けてくるのか。私が常時かかえている自己否定の原因は、このことに向き合っていけば見つかるのではないか。そう思っています。

「働かざるもの食うべからず」はいつ言われたのか

あんまり覚えてないのですが、10代のどこかで母に言われた手伝いをしなかったときに言われた気がします。

そのとき思ったのは、「今は子どもだから働かなくても食べさせてもらえてるんだな。でも私、普通に働いていける自信ない」だったと思います。

自信がない理由

なぜ自信がないかというと、小学校や中学校の集団生活が苦手だったからです。コミュニケーションが苦手なんですね。雑談とか全然続かない。

「他人から見て、一緒にいて楽しくない子と思われてるんだろうな」「だからグループに入ったら迷惑だろうな」「なにか私には欠陥があるんだろうな」と思ってました。

とはいえ、不幸だったかというとそうでもない

小学校や中学校は私には暗黒時代でしたが、不幸かというとそうでもない。なぜなら私は好奇心が強く、気になったこと、気に入ったことにはトコトンのめりこめむ気質だからです。いわゆるオタクです。

音楽や勉強もそのひとつ。

音楽の時間に習う歌はそらで歌えるまで歌詞とメロディを丸暗記。NHKのみんなの歌で気に入った歌は丸暗記。英語の歌も何度も聞いて歌って意味もわからず丸暗記。習ってた和太鼓はイキイキ叩いてたので、大事なポジションを任せてもらえました。

学校でもらった教科書は隅から隅まで読む。学研の科学は、学研のおばちゃんの家に届く数日前から毎日押しかけて受け取る(迷惑)。学校の図書室にはほぼ毎日通い、地域の図書館は2週間おきに貸出上限冊数まで借りて帰る。自分の小遣いでアルファベット練習帳を買ってアルファベットの練習。

そんな私なので、成績表は小学校は体育以外全て三重丸。中学校では体育以外全て5。学校の勉強が楽しめたクチです。

楽しかった。知らなかったことがわかること、わかったこと同士がさらに繋がっていること、そこに気づけた瞬間、身震いするほど感動しました。

今の日本に生まれたからこそ、子どものうちは働かずに勉強させてもらえる。なんていい時代、いい国なんだろうと思ってました。

勉強以外については

勉強できる分、他のことは目をつぶってもらってる自覚もありました。コミュニケーション力がないこと。どんくさいこと。片づけができないこと。いつも時間に間に合わず直前にドタバタしてること。服のセンスがなくダサイ格好をしてること。

要するに女子力皆無。なんとかする努力も「しなきゃいけない」と思いつつできてない。

あー、遠足や修学旅行は本当に苦痛でしたね。別にいじめられてるわけじゃないけど、その間は四六時中「自分は欠陥品」と思い知らされて辛かった。

一人で本を読んでるほうが、その世界にどっぷり入り込めて、なんの不安もなくて楽しい。

勉強だけじゃ生きていけないって知ってた

そんな私ですが、勉強だけじゃ生きていけないって知ってました。勉強はあくまで何かの目的を果たす前の準備のようなもの。勉強自体を楽しんでしまっている私は、本末転倒なんじゃないかとも思ってました。

きっとこのまま大きくなっても、学校ですら浮いてる私が、社会にでて普通の会社で働いていけるはずがない。

「働かざるもの食うべからず」の言葉が「死ね」に聞こえるのはそういう理由です。

今は働いているけども

そんな私は今働いています。教材会社なので勉強そのものを楽しむ私には、間接的にでも勉強の楽しさを子ども達に伝えることができて、ぴったりの会社です。

でもまだいろいろ迷惑をかけてもいて、こんな私が会社にいてもいいのかと思い悩むこともあります。

「つべこべ言わずにやれ。できないことは頭を使って工夫しろ」って話なのですが、そのときそのときはなんとか頑張ってるつもりなのですが、ずっとずっとずーーーっとだと、時々息切れするんですよね。

もちろん、他の皆さんも、そんな努力の継続と息切れとも向き合いながらやってるんだと思います。

働かないと食べちゃダメですかね

ぶっちゃけ、これ。

いや、働きますよ?。大変でもやりがいもあるし。働くことで成長もさせてもらってるし。自分のお金があるからこそ、好きなこともできる。

でも働けなくなることもあるじゃないですか。病院とかいろんな事情もあるかもしれないし、そんな理由がなくても「どうしても今はダメ」っていうときだってきっとある。

と、ここまで書いて、働かないときは仕方ないじゃん。個人の貯蓄やら保険やら、社会的なセーフティーネットに頼ればいい。

なんか、私の考えたかったことはそこでなく。

うーんと、うーんと、

「私は働くし食べる、働いてなくても食べる、どっちもOK!!」「今までも大丈夫だったし、これからも大丈夫!!」ってマインドに切り替えてもいいですかね??

あれ?

私、誰にこの許可取ろうとしてるの?

おかあさん?夫?社会?

あれーーー?

多分「働かなくても食べる、それでOK」としたときに、「その食い扶持どこからでてくるのん?」って話になるんですよね。それで「みんな働きたくなくて、みんな働かなくなったらどうするの?」と。

でもそういうのは、みんなで考えることで私だけで考えなくてもいいですよね。今はベーシックインカムの議論もあるわけだし。

私の場合は何か問題に直面したら、そのときの持てる力と人脈を使ってなんとかすると思います。だからなんとかなるんです。

だから「働かざる者食うべからず」=「死ね」という銃口を突きつけられたまま、その銃口のことを忘れたフリして日々盲目に生きて、でも忘れてなくて怯えてて、たまにがっつり思い出して泣きながら生きる、のではなく、「そのような銃口は存在しない」と決めて生きようと思います。

長年つきあった銃口だから、なかなか消えないとは思うけど。それでまたブログにぐちぐち書くと思うけど、それすらネタで美味しいブログってすごい♡